奏でるひとびと。まちという音楽。 – シズオカオーケストラ –

奏でるひとびと。まちという音楽。

> グリーンドリンクス静岡 > green drinks shizuo…

green drinks shizuoka vol.20「駿府九十六ヶ町、まちの記憶。」開催レポート


0

4月19日、記念すべき20回目のグリーンドリンクス静岡は徳川家康公顕彰四百年記念事業として、駿府の城下町「駿府九十六ヶ町」をテーマに開催されました!

開場時間を過ぎると、入り口には参加者の皆さんの列が。会場となったスノドカフェ七間町があるこの場所も、何を隠そう駿府九十六ヶ町内。まさに今踏みしめている土地の”400年前”を学ぶという機会に、縁を感じます・・・!

1

いよいよイベントがスタート。
今回のゲストは、25年も前から(!)静岡の身近な文化や歴史を掘り起こすべく活動されている”シズオカ文化クラブ”代表の石川たか子さんをお迎えしました。石川さんは、駿府九十六ヶ町に関する考察をライフワークの一つにされている方。素敵な笑顔とふわりとした雰囲気の向こう側にはマニアックな知識と町への愛が溢れています。

オーガナイザーの井上より石川さんをご紹介した後は、いつもの決まり事。初めて会った人も、よく知った顔も、もちろんゲストも一緒に・・・みんなで乾杯!

2

いよいよ、石川さんによる駿府九十六ヶ町のお話が始まります。
スライドに表示されたタイトル、その中に”町名は語る”というサブタイトルが。石川さん曰く町名は、当時の地形・風景・風習、町の有名人やどんな職業の人が住んでいたかなど「町やその土地の記憶を」語るのだと言います。普段は空気のように当たり前の存在である町名ですが、このように捉えるとグッと興味が湧いてきますね!

徳川家康公が駿府城を築き、その周りに整えた城下町。町人の職業(呉服屋さんは呉服町・両替商は両替町など)に応じて住み分けをさせた、その町の総称が駿府九十六ヶ町。当然それぞれの町に由来があるそうです。

★例えば七間町・・・2つ説がある。1つは通りの幅が七間という説。駿府で一番広い道だった。もう1つは専売七品目の”七軒”のお店が並んでいたという説。その後”七間”という漢字に変化した。

あくまで町人=庶民の町なので、武家屋敷のあった追手町や番町、屋形町や鷹匠などは含まれないのだそうです。

3

★町名の由来の一覧はこちら。職業や人名が元になっているものが多いようです。

shiryo_1shiryo_2shiryo_3shiryo_4

きっとこの城下町で暮らしを営んでいた人々は誇りを持って日々仕事に励み、その勢いが町の活気や平和につながっていたのだろうなと、情景を思い浮かべながら解説を聞きました。

もともと石川さんが城下町に興味を持ったのは、育ての親だったお祖母様の影響。お祖母様の一族は、江戸時代「同心」という警察官のような役割を担っていた一族。担当地区は「梅屋町」という、生まれも育ちもどっぷり駿府九十六ヶ町という環境でした。そのお祖母様本人からお話を聞いたり、桶屋のおみっちゃんや油屋の女将さんなど、九十六ヶ町エリアに暮らすお知り合いの方に囲まれて育った石川さんにとって、城下町を想像することはルーツを辿るに等しいことなのかもしれません。

4

駿府のまちは、駿府型町割りという「通り同士を挟んで一つの町」という特徴ある形だそうです。たしかに通常は通りで囲まれたブロックが一つの町であることが多いですよね。お向かい同士で、より親しくなりそう!今でもそのまま残っている”町内”の形に、想像が膨らみます。

それにしても、今も日常的に使う町名で話が進むので、わかりすいこと。戦後、焼け野原になった日本各地では区画整理が行われ多くの町名が失われましたが、この辺りは既に整備されていた城下町だったため、半分以上の町名が残ったそうです。当日の資料を見ても大半が見たことある名前。400年前から変わらないものが、こんなにも身近にあったとは驚きです!

76

さらに遡れば、このまちづくり全体の基礎となったのは、今川の城下町。家康公が突然創ったのではなく、200年以上栄えた今川氏の功績と歴史があったからこそ、完成した都市計画ということですね。栄えた町の範囲もちょうど重なるそうですし、当然今川氏の時代から(場所によってはそれ以上前から)続いている町名が存在するとのこと。良い物は時代を超えてちゃんと受け継がれてきていることを実感します。

さらに石川さんによる詳細な解説が続きます。「語り出すと朝までかかってしまうので」と笑いながら、駿府九十六ヶ町の由来をさらってくださいました。

★現在、駿府九十六ヶ町の「町名碑」がコツコツと設置されている最中!町を歩きながら探してみるのも楽しそう!

shiryo_5

最後に、400年どころじゃない!?歴史ある地名「横田」のお話がありました。横田は、なんと1300年前につくられた古代東海道の駅が置かれた町。今川の時代も、徳川の時代も、大事なポイントとしてその名前を残し、今現在まで生きている町名だそうです。考えてみれば「東海道」という言葉も、昔から存在し今もなお生活に密着して使う言葉です。それだけ重要な言葉、人も物資も集まる大動脈だったということでしょう。

「町名は、手に取ることもできないし、目にも見えませんが、ちゃんとそこに存在して残っている。それって、すごいことだと思いませんか?」
そう締めくくった石川さんの言葉に、会場からは拍手が起こりました。

自分が今立っているこの町の地面に、400年前にも誰かが立っていたこと。教科書や別世界の話ではなくて、同じ町で実際に営まれていた暮らしだということ。そしてこれから先の未来にも同じように続いていく、今はその”通過点”だということ・・・そんな風にイメージしてみると、今私たちが暮らす町への愛着に繋がっていくような気がします。同じ場所で今も生き続ける「町名」を知り、語り継いでいくことも、”持続可能な静岡”への大事なアクションですね!

今回のグリーンドリンクス静岡をキックオフとして、5月からは実際に駿府九十六ヶ町を歩く「400年後の妄想まちあるき」が始まります。どうぞお楽しみに★

10

report by izumi


Writer : shizuoka orchestrashizuoka orchestra
Category : gd 静岡

Posted at :

> グリーンドリンクス静岡 > green drinks shizuo…