奏でるひとびと。まちという音楽。 – シズオカオーケストラ –

奏でるひとびと。まちという音楽。

妄想まちあるき vol.5


駿府九十六ヶ町を愛する石川たか子さんと共に、町名の由来を学んだり400年前の情景を妄想しながら、その町のカフェでひと休み。そんなゆるめのお散歩「妄想まちあるき」を、シズオカオーケストラの井上がレポートします。

これまでの様子はこちら!
妄想まちあるきvol.1
妄想まちあるきvol.2
妄想まちあるきvol.3
妄想まちあるきvol.4

第5回目のコースは、こんな感じ!

ナビゲーターは石川たか子さん。主旨に賛同して集まってくださった6名のメンバーと共に妄想まちあるきが始まります。

待ち合わせ場所である地震防災センターで自己紹介と石川さんからのお話。400年前のこの辺りは幕府公認の風俗営業の場である遊郭が並んだ「花街」でした。当時そこで働く遊女の皆さんは豪華な衣装を着て格式も高く、女優さんのような憧れの存在だった等、文化が花開いた一面もありながら、花街を出ることを許されなかったというような影の面も持ち合わせていました。昭和30年代頃に法律により廃止され今はあまり面影はありませんが、あの吉原遊郭はこの町から移ったとも言われる大変歴史ある町だったんですね。

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さて、1800年頃に幕府が道中奉行に作らせた絵地図である「東海道分間延絵図」と照らし合わせながら歩いてみることにします。これは妄想しやすい!

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安部川町

遊郭のあった町。

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まずは地震防災センターのすぐ横にある、遊女たちのための慰霊の碑がある稲荷神社へ。神社に入るとすぐに「双街の碑由来」という立て看板を発見。双街とは「二丁の町」という意味。本来安倍川町は五つの丁があったのですが、家康が江戸に戻る際に三つの丁が移って吉原遊郭になり、二丁が駿府に残ったとされることから「二丁町(双街)」と呼ばれたそうです。こういった歴史が記されている神社、これからも大切にしていきたいですね。

前述の通り、遊女の皆さんはこの「安部川町」から出ることができなかったそうです。今ではなかなか想像しがたい状況・・・。ただ石川さん曰く、お寿司屋さんも何軒もあったし、美容院や醤油屋なんかの商店が、町内に完備されていたようですが。もしも現代だったらAmazonに頼りきりの生活になりそう(冗談)。

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メンバー「『江戸に次ぐ都』って書いてある・・・」
井上「全然実感ないよね・・・」
メンバー「でも私は久しぶりに静岡戻ってきたら、都会!豊かやな!って思ったよ。」
一同「そうなんだー!」
石川さん「そう!いい町よ!」

さて、再び地震防災センターを横切って、反対側にある安部川町公園へ入ります。もう一つこの町の”影”の面を語るのに重要なのが、キリシタン。公園の一角には「駿府キリシタン聖堂跡」の碑がひっそりと建っていました。

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家康公は勢力を増してきたキリシタンを弾圧するようになり、亡くなる4年前には禁止令が発令されました。多くのキリシタンが安倍川で処刑され、川が血色に染まったという言い伝えもあるそうです。そのことから、今の中村町(駅南の町、安倍川支流の下流方面)に流れている川は別名「桔梗川」と呼ばれたとのこと。想像したくないほどの、家康公の恐ろしい一面を見たような気がしました・・・。

一行は旧東海道の新通りを安倍川方面に下ります。

川越三町(新通川越町・堤添川越町・本通川越町)

安倍川を渡す仕事をする川越人足が住んだ3つの町を、こう呼ぶ。

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弥勒町にさしかかった辺りで、話題は町名の由来に。江戸時代に弥勒院という山伏がこの辺りでお餅を売り始め、そのお餅が「安倍川餅」、そして町が「弥勒町」となったという説があるようです。

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ここで川会所跡(関所)の看板を発見!
わかりやすく、詳しい解説が書いてあり、妄想も膨らみます。川越人足に払う川越え賃が、水位によって違うことも発見。稼ぎ時ってものがあったんですね!(ただし命がけですから、すごいお仕事ですよね)

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弥勒町のポケットパークには、立派な石碑が2つも建っていました。
一つは明治時代、安倍川に橋を架けた記念で建てられたもの。
そしてもう一つは、なんとあの梅屋町で自害したという軍学者・由井正雪の慰霊碑。今回は九十六ヶ町の町名碑が無いため、せっかくなのでここで記念撮影しました★

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メンバー「安倍川、自分で渡っちゃいけないんですか??」
石川さん「それが絶対渡っちゃいけないの!」
メンバー「暗いうちに、ちょっと上流から渡っちゃえみたいな。」
※ダメです。捕まります。

いよいよお待ちかねのおやつタイム!
文化元年創業という「石部屋」さんにて、元祖・安倍川餅をいただきました!やわらかくて美味しい♡昔の人もこうやって一息ついていたのかなぁと妄想し、ほっこり。

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さて、後半はまず水神社へ向かいます。
この辺り・・・段差があり立体的な、少し不思議な地形。そこに現れた水神社。静かなエリアなこともあり、神秘的です。神社の入り口には、天保の時代に川越三町と弥勒町の若者達が奉納したという水盤が。大切に守られてきた神社なのだと感じました。

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当時、川越町内の居住人数は554人。うち男は290人。子どもも含むとはいえ、かなり多くの人足が働いていたことになります。それだけ重要で大規模な仕事だったということ、そして安倍川が大きな川であったということですね。

一行は本通りに出て、東を目指します。通り沿いには「キリシタン殉教の碑」が建っており、きれいなお花が供えられていました。町の歴史には悲しい出来事がつきものであることを改めて感じつつ、歩きます。

それにしても東海道分間延絵図と、現在の町を見比べながら歩くのは本当に楽しい!400年前は水郷の町。今よりも本流が広く、至る所に支流が流れていた様子が描かれています。また、本通り(ほんとおり)は、はじめは(もと通り)と呼ばれており、今川時代のお屋敷(四足町)へ続くメインストリートでした。

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川越三町の一つである堤添川越町(今の本通西町)を経て、さらに進むと本通川越町があったエリア。川で働く人が川の近くに住む。当たり前のようですが、とても効率的ですよね。通勤時間に2時間かける(しかも電車)なんて、400年の人たちは妄想もできなかったことでしょう。

と、ここで今日のゴールである神明神社に到着!
今回は家康公の「影」の部分を多く感じた回でした。石川さんからは「歴史から学び、これからは平和な世の中にしていかなくてはいけませんね。」とのお言葉。深く共感しました。
最後にみんなで狛犬ポーズ。おつかれさまでした!

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参加メンバーの皆さんに感想をお聞きしました。

「町名碑はなかったけど、地形を意識しながら歩くことができて楽しかったです。」

「町名の付け方が面白いなと。年代によって変化もあるし、もう少し調べてみたいです。」

「町名変更に抵抗するとかしないとか、町で暮らす人の性格によってその後の町名が変わったりすることもあるのが面白い。」

「地形で妄想しながら歩くのは楽しい。いつも通る場所なので、さらに興味深かったです。」

「石部屋さん、初めて入ったのですが安倍川餅がとても美味しかったです!」

「キリシタンの歴史について興味があるので、もっと調べてみたいと思いました。」

「安倍川の存在感が大きく、これまでで一番意識した回でした。」


Writer : izumiizumi

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