しずおかのひみつ探し「か」編
※諸事情により記事の日付が2014年と表示されていますが、実際は2022年2月22日の記事です。
浅間通りから安倍川までを貫く「土手通り」の入口、車町。くるまちょうと読む。あの徳川家康が駿府城の資材運搬のため京都から牛車を牽く人々を移住させたのが町名の由来らしい。
しずおかのひみつの文字を探しながら歩いていた私たちは、車町にさしかかった辺りから電柱の広告に釘付けだった。正確には電柱に貼られた広告の美しい「か」の字体に、である。
その文字の主は「たか井宝石店」。
曲線的でエレガントなお店構えも印象的な、老舗の宝石店だ。
これは・・・お話を伺ってみたい・・・!
しかし今の私といえば、ほぼスッピンで巨大なリュックを背負いカメラを首から下げ、もう白くはない白スニーカーを履いたアラフォー。いや、、、これであの扉を開けるのはさすがに勇気が要る。というか勇気の問題ではなく、お店にご迷惑なのではないかという不安。せめて他のお客様がいらっしゃらないタイミングであることを願いながら扉を開ける。
迎えてくださったのはとても優しそうな奥様。おそらく「か」を拝借したいという目的でお店に入ってきたお客は創業以来初めてだろうと想像するところだけれど、奥様そしてお嬢様ともに、とっっっっっても温かく(←誇張ではない)お話を聞いてくださり安堵するすっぴんアラフォー。
さらにあの魅力的な字体についてお尋ねすると、奥からご主人と先代がご登場。これまた親切に詳しくお話くださった。
お店は明治22年創業で現在のご主人は4代目。初代は高井峰弥(みねや)さんという新潟ご出身の方で、東京で修行したのち静岡へ来たとのこと。店内には、なんと徳川慶喜公の息子のお嫁さんが宮中参拝の時に身につけた花笠(かんざし)が展示されていたりする。
峰弥さんは高価な「べっ甲」に代わり、庶民が宝飾品として楽しめる「卵甲(らんこう)」を発明したのだそう。発明・・・すご!!そして卵の白身でできているとは信じ難い卵甲がこちら。
その後、大正9年にセルロイドの宝飾品がメジャーになってからは宝石を扱うようになったらしい。
そして本題。文字の話。
「たか井」の文字はどなたが書かれたのですか?
「終戦直後の頃、もともとお付き合いのあった駒形通の浦田宝扇堂の先代が手がけてくれました。看板はもちろん、このパッケージなども全部ね。」
浦田宝扇堂の先代といえば、江戸時代から続く静岡の浮世絵処「版隈」五代目浦田儀一氏であろう。私たちは巨匠の生み出した文字の引力に導かれたに違いない。見れば見るほど味わい深いビジュアルだもの。
文字に加え、私はエレガントで柔和な空気をまとう高井家の皆さまにすっかり魅了されてしまい。機が熟して宝石を買う時が来たら必ずこのお店へ相談に来ようと心に決めたのだった。
#たか井 #しずおかのひみつ