駿府九十六ヶ町 400年後の妄想まちあるき vol.1
駿府九十六ヶ町を愛する石川たか子さんと共に、町名の由来を学んだり400年前の情景を妄想しながら、その町のカフェでひと休み。そんなゆるめのお散歩「妄想まちあるき」を、シズオカオーケストラの井上がレポートします。
ナビゲーターは石川たか子さん。主旨に賛同して集まってくださった6名のメンバーと共に妄想まちあるきが始まります。待ち合わせは家康公ともつながりの深い浅間神社の赤鳥居、宮ヶ崎町からスタートです。
まずは「浅間通り商店街」をまっすぐ南下。歩き始めてすぐに、創業150年になる安本酒醤油店の女将さんに出会ったり、麹屋さん、金物屋さんなど、昔ながらのお店が続きます。さすがは門前町!この日は定休日のお店もあり静かな雰囲気でしたが、400年前はきっと神社へ参拝する人々で活気に溢れていたのではないか・・・とさっそく妄想。
井上「400年前から続くお店っていうのは、さすがにないですよねー。」
石川「あ!そのお蕎麦屋さんは300年前から!」
一同「えっ!?」
(慶喜公も召し上がったらしい)
なんと300年以上続くその河内庵の前に、最初の町名碑(※)を発見!
碑には、江戸時代の宮ヶ崎町の戸数(46軒)と住民数(384人)が記されています。ということは、一つの家に約8人以上が住んでいたということですね。人口密度高!
※妄想まちあるきは、点在する駿府九十六ヶ町の「町名碑」を探しながら歩くというルールを設けています。
宮ヶ崎町(現存)
神社の門前に位置することに由来。
道端に、石像発見!
ちょうど江戸時代にタイへ渡り現地で英雄となった山田長政の像でした。馬場町の染め物屋の生まれだったそうです。
同じく有名な軍学者である由井正雪も、染め物屋の生まれだったそうですが、その出身地については有名な「清水区由比」の説以外に、なんと「宮ヶ崎町」の説が存在するとのこと!由井正雪は幕府転覆を計画し、最終的に九十六ヶ町内の宿で自害する人生を辿った人物。そんな人物が家康公のお膝元である宮ヶ崎町で生まれたなど許しがたい!とのことから、幕府が「由比出身」ということにしてしまったのでは!?と、ミステリーな妄想がモクモクと。。
そうこうしているうちに馬場町の八百屋さん、あくつさんに遭遇。
馬場町と宮ヶ崎町、昔は仲良くなかったみたいねー。と、地元ならではの情報が飛び出します。それにしてもあまりに知り合いに遭遇するため「選挙運動でもやってるみたいね・笑」と、一同大爆笑。さすが、静岡です。
馬場町(現存)
馬場があった町。
そのまままっすぐ進み中町方面へ。中町は、駿府九十六ヶ町の四足町(よつあしちょう)。「四足」という言葉、本当は格式高い門の名前「四足御門」から来ているのですが、語感が悪い等の理由で、大正4年に中町に町名変更となったとか。
ちなみに中町の由来も二説。一つは昔ここに安倍川の支流が流れており、エリア内にある天満宮が「川中の天神さん」と呼ばれていたことから”中”町となった説。もう一つは町の”中”心という説。
四足町
今川館の正門だった四足御門の前に位置したことに由来。現在も石垣があります。
メンバーA「昔、石垣に掘ってある家紋らしきものを探して遊んだ記憶が!」
メンバーB「やったやった!」
思わぬところで、静岡あるあるを発見。
400年前川が流れていた所は道路になり、信号や地下道ができました。その地下道をくぐって、金座町方面へ向かいます。
金座町は、駿府九十六ヶ町の上魚町(かみうおまち)。通称「かみんだな」と呼ばれていました。駿府九十六ヶ町には下魚町も在りますが、そちらの通称は「しもんたな」。さらに現在の青葉通りの一角が「なかんたな」と呼ばれるエリアだったとか。いずれも生鮮食品や氷を扱うお店が集まっていたそうです。活気がありそう!
上魚町
魚屋や八百屋など、今で言う流通センターのような役割を果たしていた町。
車町
家康公が、牛車を作る職人を伏見から呼んで住まわせた町。
茶町
お茶の商いが盛んな町。
それにしてもこのエリアは、町名碑との遭遇率が高い!お次は桶屋の町です。一説では、駿府で争いがあった際に家康公を桶にかくまって助けたことから、桶屋の”格”が上がったとか!?桶屋は片付けしなくて良いという「片付け御免」という言葉が存在したらしいのです。
井上「桶屋、最近調子に乗ってんじゃない?とか言われてたりして。」
メンバー「一回助けたからって、調子乗りすぎだよね?とかね。」
400年前の町でもこんな井戸端会議がされていたかもしれませんね。もちろん妄想ですが!
桶屋町
桶屋の町。上桶屋町は現存するが、下桶屋町は消失。
ここで、一服タイム!!
茶町KINZABUROさんでおいしいお茶スイーツをいただきました^^
充電完了した後は、茶町KINZABUROのある土太夫町をぶらり。着れば安全に富士山へ登れるという白装束を作っていた、土太夫という人物がまつられた神社「櫻森稲荷神社」があります。何せ町名になるくらいの人物ですから、浅間神社に大きな利益をもたらした敏腕営業マンや、効率よく丈夫に縫製する技を発見したアイディアマンだったのかも・・・と妄想。神社には土太夫社と書かれた提灯があり、年に一度お祭りがあるそうです。このように、駿府九十六ヶ町の町名には、人名が由来となっている町がいくつかあるようです。
メンバーA「御利益あります、を宣伝文句に売っていたかもね。」
メンバーB「そうそう、付加価値をつけてね。」
白装束の大ヒットの裏側にどんな秘策があったのか、気になります!
土太夫町
浅間神社の神職に仕えた土太夫さんに由来。
柚木町
柚の大木があったことに由来。
さあ、いよいよ妄想まちあるきも終盤です。再び浅間神社方面を目指します。途中、立ち寄ったのは報土寺。今川氏の時代、応仁の乱で都が荒れた後に、今川氏を頼って来た公家の一行が、歌詠みの会を度々開催したとか、家康公がお父上の50回忌の法要をつとめたとか、とにかく由緒ある立派なお寺です。400年前は、浅間通りからお寺に向かって50メートルの参道があったそうです。
そうそう、「ごせっぽい」「ばった」などは静岡弁でおなじみですが、これ元々は公家言葉から来ているそうですよ。思わぬルーツに一同びっくり!
そんな中、交差点に「安部町」の標識を発見。いよいよゴールは目前です!
安部町
今川家臣だった安部元真の屋敷があったとされる。
御器屋町
お城御用達の漆の器を作っていた町。
静岡市のクラフトビール「AOI BREWING」の前を通り、ビールを飲みたい衝動を抑えつつ、ゴールの浅間神社へ無事到着しました!最後は全員で記念撮影!
参加メンバーの皆さんに、本日の感想を聞いてみました!
「意外と知らない町名がありました。人名がついている町もあって、やっぱり人が大事にされていたんだなあと、温かみを感じました。」
「みんなで歩くのも、町名碑をバックに記念写真を撮るのも、楽しかったです!」
「面白かったです!暑かったけど・笑。普段の町が違う風景に見えました。」
「町名にはそれぞれ意味があることがわかった。なくなった町名も復活すれば良いのに!と単純に思っちゃいました。」
「日頃通っている道でたくさんの発見があり、楽しかったです。」
「ゆっくり歩いていると、町のいろんな所が見えて楽しかったです。あとは素敵なゲスト(途中で遭遇した町の人々)がたくさん現れて楽しかった!」
次回は「札の辻」を含む中心市街地を、妄想まちあるき!
どうぞお楽しみに。
講師:石川たか子さん
生まれも育ちも駿府・静岡。株式会社丸伸代表取締役。静岡の魅力的な文化を再確認する「シズオカ文化クラブ」の代表幹事。静岡市文化振興財団評議員。静岡県立美術館協議会委員。静岡の歴史文化を継承する地域活動を多数実施している。趣味は相撲グッズの収集、相撲甚句、地域活動、国内温泉旅行など。