駿府九十六ヶ町 400年後の妄想まちあるき vol.4

駿府九十六ヶ町を愛する石川たか子さんと共に、町名の由来を学んだり400年前の情景を妄想しながら、その町のカフェでひと休み。そんなゆるめのお散歩「妄想まちあるき」を、シズオカオーケストラの井上がレポートします。

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ナビゲーターは石川たか子さん。主旨に賛同して集まってくださった5名のメンバーと共に妄想まちあるきが始まります。今回の待ち合わせは常磐公園の噴水前。400年前は「寺町」だったこの場所からスタートです!

はじめに石川さんから参加者の皆さんにプレゼント。「東海道分間延絵図」(府中の部分)という、駿府城下町が美しく描かれた絵地図のコピーをいただきました。きっちり碁盤の目になっている街並み。東海道もわかりやすく、これは保存版です!!

さて、常磐公園正面すぐの所にさっそく寺町の町名碑を発見。西国の大名から駿府を守ることを意図して集められた、約13のお寺が並んでいたエリアです。静岡大火後の区画整理で、多くが沓谷霊園付近へ移ったため、今は常磐公園に。お寺・・・万が一の攻撃に備えて、カラクリがあったに違いない・・・と、さっそく妄想開始

寺町

13の寺院が並んでいた町。

合掌ポーズ

青葉通りを市役所方面に進むと、そこは藤右衛門町。藤右衛門さんという方のお屋敷があったことに由来するそうですが、現在は浄土真宗高田派の浄円寺があります。代々、能楽の発展に深く関わったお寺とのこと。梅屋町や常慶町など、この辺りは能楽との関係がある町がいくつかあるようです。

藤右衛門町

藤右衛門の屋敷があった町。

能楽風に鼓を打つポーズ

50mほど歩くと、すぐに隣の町・常慶町の碑が現れます。こちらも人名由来のまち。家康公にかわいがられたという、台所奉行の松下常慶さんのお屋敷があった場所。家康公が亡くなった後、現在の教覚寺がこの地に移ってきました。

常慶町

松下常慶の屋敷があった町。

台所奉行らしく料理ポーズ

有名な青葉おでん街を通りすぎ、青葉通りをさらに進みます。(ついついおでんの歴史まで知りたくなる・・・)左手には、別雷神社が。町人達の自治会組織があって、その事務局があったそうです。昭和通りを渡ると、そこにあったのは下石町の町名碑。石(こく)は穀物のこと。お米屋さんやお味噌屋さんなど、340人以上が住んでいたエリア。ちなみに上石町は少し離れた場所で現存しているのですが、下(しも)がつく下石町は消滅してしまったという切ない現実・・・。

下石町

米座(米穀商)の人々が居住していた町。

寿司を握ってみました!

この日、下石町エリアでは、おまち盆ダンスが開催されていました。貼り紙にも現存する九十六ヶ町を発見してテンション↑。

最初に石川さんからいただいた絵地図と照らし合わせながら、南の方角に右折。次なる目的地・平屋町を目指します。途中「成田屋」という呉服屋さんを発見。ついつい「いつからやっているお店だろう・・・」と気になってしまうのは、妄想まちあるきの影響かもしれません;

玄南さんというお医者さんが住んでいたことから、玄南通りと呼ばれる通りは、今もそのまま。平屋町自体は、平屋玄蕃三騎さんという方に由来するそうです。町名碑の向かいは昔、見番といって芸妓さんの事務所があった場所とのこと。

石川:もしかして、”玄”南さんと平屋”玄”蕃さんが同一人物なんてことは・・・。ふふ。妄想・笑。

でもどうやら、”玄”はお医者さんに多い漢字のようです。案外妄想が当たっているかもしれませんね!?

平屋町

平屋玄蕃三騎が住んでいた町。

ひとまず平らなポーズ

一同は、玄南通りを西方面へ戻ります。途中、駐車場でくつろぐネコに遭遇。無類の動物(特にネコ)好きのナビゲーター石川さんの声色が1オクターブ上がります。通りがかった近所の方と、ネコの話で盛りあがります。こんな出会いもまちあるきの醍醐味!

少し歩いただけで、すぐに現れた町名碑。安倍川の支流の川尻だったことに由来する江尻町。江川町~江尻町と、町の名前に流れを感じますね。ちなみに清水区にも同じ江尻という地名がありますが、きっと由来は同じなのでしょう。

駿府は水郷の町と大学教授の方もおっしゃったように、今も静岡の地下には水がザンザン流れています。植木を植える時に大変だったとか、防空壕が掘れなかったとか、マンションの建設地で水が噴き出していたとか、参加者の皆さんの体験談が飛び交いました。

江尻町

安倍川の支流が流れ込み、川尻になっていた場所。

し、尻・・・?

うっすら空に浮かぶ月を眺めつつ、宝台院方面へ向かいます。夕暮れ時、少しひっそりとした常磐町界隈を、中村屋(宝台院向かいにある老舗の親子丼専門店)の美味しさについて語りながら歩く・・・良い時間です。

昔は幼稚園だった宝台院の建物の前に、綺麗に整えられた町名碑を発見。通称「かみんたな」と呼ばれる上魚町、「なかんたな」の青葉通り辺り、そしてここが通称「しもんたな」と呼ばれる下魚町です。

下魚町

魚介類を扱う商人や、塩問屋が集まった町。

釣る人と釣られる魚ポーズ

ここまでで、なんと7町名碑。残すところ1つです。頑張れ私たち。たくさん歩いているような気もしますが、実際は狭いエリアをぐるぐるしています。駿府九十六ヶ町は、必要な機能がきゅっと集まった、まさにコンパクトシティなのです!

駿府の町には、通りの向きが不自然だったり、突然遮ってできている町があったりと、”強い町”と”弱い町”があるという面白い話もあります。例えば、札ノ辻は呉服町の中に突如現れる(笑)強い町。南北に通る呉服町や両替町を遮るように在る江川町も、きっと強い町ですね。

鍛冶町

鍛冶師の町。

下桶屋町

桶職人の町。(上桶屋町は北部にあるが、ここは南部に位置する)

最近、交差点の信号が新設された関係で場所が移動していましたが、ついにラストの町名碑を発見!江川町は、今は「江川町交差点」という名前で残っています。お城に近い場所にあることから、公事宿(各種事務手続きを代行してくれる場所)があったそうです。今も官公庁の集まるエリアとして、弁護士や司法書士の事務所が多いですね。

また、”鳥になりたかった人”と言われた日本初の飛行機考案者であり、歯科医として入れ歯を開発した鳥人幸吉さんが住んでいた町でもあるそうです。そんなわけで、最後の集合写真は「鳥人間」!

江川町

鳥人幸吉ポーズ!

そして一同は喉を潤すため、老舗「多可能」へ・・・!これがまた楽しみの一つだったりするのです。次回は駒形通り・川越町エリアを妄想まちあるき。どうぞお楽しみに★

参加メンバーの皆さんに感想をお聞きしました!

「人の名前が町名になっているとか、川が流れていたとか、知らないことがたくさんあって、驚きの連続でした。」

「人の名前がついた町名が、こんなにあるということはびっくりした。もう少し勉強してみたいと思った。」

「初めて参加させていただきましたが、とっても勉強になりました。偶然にも下準備をしてきた(娘さんの自由研究が駿府九十六ヶ町だそうです!)ので2倍楽しめました^^」

「今日のコースは自分の職場や通勤路に近いので楽しみにしていましたが、石川さんのお話はもちろん、他の参加者の皆さんが小ネタを持っていて、いつもよりさらに妄想が膨らみました!」

「昔のお店の地図があったら、それと今の街並みを見比べながら歩いてみたい。楽しそう!」


講師:石川たか子さん

生まれも育ちも駿府・静岡。株式会社丸伸代表取締役。静岡の魅力的な文化を再確認する「シズオカ文化クラブ」の代表幹事。静岡市文化振興財団評議員。静岡県立美術館協議会委員。静岡の歴史文化を継承する地域活動を多数実施している。趣味は相撲グッズの収集、相撲甚句、地域活動、国内温泉旅行など。

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